そういう意味でも当店のそばがきは味、風味、プレゼンテーションのどれをとってもひとつの芸術とも言える完成度の高さである。また、添えられた、「ごまだれ」もとても美味しく、後から来たおろしそばの麺を「ごまだれ」でいただいてしまったほどだ。
「おろしそば」は庵主は勝手に「辛味大根」と思い込んでいたが、そうではなかった(と思う。つまり、それほど辛くなかったし、色も辛味大根はややクリーム色なのに対して、これはほぼ純白であった)。▽ 3度目の往訪
今度は会社の同僚と伺った。二人は写真の「そばべんとう(1500円)」を食べていた。見てのとおり、てんぷらや玉子焼きなどいろんなものが食べられて、しかも当店ご自慢のさらしなとせいろの両方がいただけるお値打ちメニューである。庵主は頑固に「手打ちそば」(せいろのことだと思う)と「ごま汁そば」(と呼ばれていたと思う)の2品にこだわった。二人は一様にそばの味、ボリュームに満足していた。お昼はこれがお勧め。
▽さあ、何度目になったか、思い出せないが・・・
今日は九月早々以来久しぶりに築地「さらしな乃里」に伺った。
「秋のきのこの天ぷら(もっと魅力ある命名だったが失念)」を始めとする魅力あるメニューの誘惑を横目に「お決まりですか?」と声をかけられると、つい「手打ちそば」と銘打つ「せいろ」をお願いしてしまう。蕎麦食いの悲しい性である。
そして頼んだその直ぐ後で、「さあ、最初にせいろを食べて、じっくり賞味させてもらうのだから、お代わりは何をたのんでもいいはずだ」と自分に言い聞かせながら、メニューを凝視する。それでも頭を渦巻くのは(更科でいただくからには)「青柚子切り」かそれともたまには「かけ」か?というようなことで、他のメニューへの飛躍は類まれなる崇高な「そば」に対して失礼なような気がしてとても考えが及ばない。
つまり、当店においては「そば」こそが一番美味しいのだから、それ以外のものに浮気する理由が見当たらないのだ。結局、新そばの「手打ちそば」と「青柚子切り」をいただいた。手打ちそばは期待どおりの素晴らしさ。まず香りがいい。口にフワッと広がるなんとも言えない香ばしさ。
そばは「喉を滑らせるがごとくに食べるもの」と言われるが、そんなもったいないことは出来る訳はない。ゆっくりと噛みしだく。ほのかな甘味が口中にジワッ。
半分は見栄でもなんでもなく、どうしても「つゆ抜き」で賞味したくなる、のである。次に山葵。これがまた素晴らしい風味。ところどころに、クッとくる辛味を秘めつつも風味が命。葱の質も上品で、繊細な切り方も最高である。こんなシンプルな食べ物、つまり、水で練ったそばと、葱と山葵、そして玄妙なるも素材を活かしたつゆの織り成すハーモニーの素晴らしさ、奥の深さ。なんと芳醇な食の世界であろうか。
柚子切り。風味は素晴らしい。が、ちょっと気になったのは麺にからまる水分の多さのせいでどんどん「つゆ」が薄まっていくことだ。更科粉は色は白雪がごとしだが、風味は劣る。それが変わりそばの混ぜものの風味を引きたてるのだが、しかし淡白な味わいには変わりなく、やはり「つゆ」の力が必要である。そのときに水分のせいでつゆが薄まってしまうと麺もつゆも両方がちょっと中途半端な味になってしまうような・・・。今日の柚子切りは盛りが気前よく、大盛りに近かったので、その分水切れが悪かったようにも思った。やはり、せいろ一面に薄く盛って水分を落とした方が、お腹は膨れないが、味はひきたつような気がするのは素人のお節介か。
でもそもそも普通のお客さんはそんなことよりお腹が膨れないと文句を言うであろうから、なかなか「盛り」をケチる訳にも行くまい。
▽庵主の素人評に対して当店のご主人からのコメントがあった。当店の「そば」に対する真摯な姿勢を垣間見ることができるので、関連する部分を以下に引用させていただく。
『(庵主)がわさびとネギに着目されていらっしゃいましたが、うちとしてもものすごくこだわっている部分ですので、とてもうれしかったです。おろしたての本わさびと、昔ながらに手で切る(機械ではなく)ネギがそばの風味を引き立ててくれます。
「青柚子切り」の水切れについて、量に関係なく適度に水が切れていなければなりません。それによってつゆが薄まっていくというのは、もってのほか。本当に申し訳ありません。洗いが不十分ですとぬめりが残って水切れが悪くなります。またせいろに盛る際にも気を配るのが常識です。もう一度全員で仕事を見直し、気を引き締めて頑張ります。』
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