荻窪 「高はし」    住所・地図等へ  全店一覧へ

    以前から雑誌のムックなどで、名前だけは伺っていたが、最近、庵主がお世話になっている白金台のとあるお店の方々から勧められてついに伺う機会を得た。環状八号を高井戸方面から少し北上した右側にある。荻窪川南郵便局(小さな特定局なので見逃さないように)の隣になる。お店自体は環八沿いにはあるが、左の写真の入り口は少し脇に入った処にある。(環八沿いには左下の写真の看板が見える)
    店内はとても落ち着いた佇まい。渋めの赤いクッション(というか座布団)が濃い茶色を基調とした木の家具としっくりとくる。店内から打ち場の「のし棒」が窓を通して見える。
  時間に余裕がなかったこともあり、とりあえず「せいろう」をいただいた。
  大きめの矩形のせいろに極細切りの麺。かなり濃い目のキリっとしたつゆ。薬味は薄く切られた葱と辛味のきいた大根おろしがひとつまみ。器もすっきりとしていて、全体のプレゼンは店内の趣味のよさと相俟って期待をつのらせる。
  麺だけをつまみ、口に含む。国内産玄蕎麦を石臼挽きしたそば粉だけを使った生粉打ちならではの蕎麦の甘味がある。十割蕎麦にしてはスムーズな麺肌と極細切りとは思えないしっかりとしたコシに驚く。つゆは最近の新進のお店や料亭系の職人さんが供することの多い「鰹だし」を前面に出し、風味を重視し過ぎた「ダレた」つゆではなく、しっかりと角のとれた醤油が効いた濃い目の返しが麺に強力に絡む。薬味の葱もいいし、大根おろしも「辛味」かと思われるほどの刺激がうれしい。次回は辛味大根そばをいただいてみたくなるほどだ。
  だが、である。当店のご主人はあの荻窪の名店「本むら庵」で修行をされたとものの本にあるが、この麺を見、一度箸に掴み、口に運んだ瞬間に、その下知識がなくとも「これは本むら庵的な麺だ」と庵主は思ったに違いない。なぜなら、せっかくの麺が水切れの悪さに「ボトボト」な状態で供されるからである。「本むら庵」や浜田山「安藤」、かつての阿佐ヶ谷「慈久庵」、渋谷「おくむら」など、ファンが多いお店なのでいつもこのことを指摘するのは心苦しいのだが、 この「水切れ」の悪さには
閉口する。口に含んだときにまず最初に感じるもの、それが「水」であることは、蕎麦粉と水の二つの材料からなり、水で茹で、水で洗って供される蕎麦麺の宿命ではある。したがって、庵主はかねがね蕎麦の味における「水の良さ」の重要性について注目してきたし、発言もしてきた。しかし、だからといって麺を口に含んだときに舌や歯茎と麺が触れ合うのを妨げるかのごとくに水分が多いのはいただけない。上で「蕎麦の甘味を感じる」と書いたが「蕎麦の香ばしい風味が口一杯に広がる」とは書かなかったのは、そういうことである。麺とつゆの絡みも同じ理由で悪くなる。当店の場合上で書いたように「つゆ」がいい。だから、麺を入れるたびにその水気でつゆがドンドン薄くなって行くということはない。しかし、せっかくの麺とせっかくのつゆの間に「水気」が割って入る、二つが織り成すはずのハーモニーを邪魔する感じは否めない。麺が乾いてしまってから供されるのは最悪だが、水切りが不十分なのも同じくらい辛いものがある。この「水っぽさ」の問題はそれぞれのお店の紹介のところで書いているとおり、単なる工程上の問題なのか、麺肌に水が溜まりやすいのか、あるいは極細切りの宿命なのか、その辺は定かではないし、それぞれの方々の好き嫌いの問題である。ただ、庵主は個人的には少なくとも「せいろ」は細くなく、太くない、ちょうどいい切り幅で、エッジ感が際立っており、適度に水が切れた、それでいて乾いていない、そんな状態の蕎麦が一番好きだというだけのことである。
   店内に低く流れるジャズ、上品な内装、物腰の低いご主人に女将さん。環八の喧騒からうまく隔絶されるように設えられた入り口など、蕎麦を美味しくいただくための細かな気配りのなされたお店である。次回はぜひ、「鴨」系か辛味大根系を頂いてみたいものである。

杉並区荻窪2-30-7   03-5397-0118 (地図は住所をクリック)
水・第3木 休  11:30-14:
30  17:30-20:30   (但し、売切れ仕舞いなので心配なときは電話を)

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